「胡坐」と対になるのは「正座」だがかしこまった場所での座り方としての「正座」は江戸時代以降から普及した。
「あぐらをかく」は付け上がったり調子に乗っていることの慣用句だが戦国時代まではあぐらが正式な座り方だった。つまりあぐらが下品な座り方とみなされるようになったのは江戸時代から。武将の肖像画が正座で書かれていればその武将は江戸時代の武将。
正座は足がしびれいつでも動けない座り方なのでいつでも戦う姿勢でいる戦国時代には考えられない座り方。
正座の由来は屈膝座法(くっしつざほう)。屈膝座法は、茶道の影響を受けている。狭い茶室では、膝を折って座るしか方法がなく、茶室には日本刀を持っては入れない。
屈膝座法は攻撃の意志がないことを意味する。正座はもっとも立ち上がりにくい座り方なので、いざことがおきても、正座から立ち上がるには二挙動(2回の動き)かかってしまう。つまり、正座は攻撃しにくい座り方。茶席での作法でしかなかった屈膝座法が、のちに将軍拝謁時の座り方となった。
庶民にまで正座が広まったのは明治以降。明治新政府が、国民に等しく修身教育を施すにあたり、外国文化との対比を強調しようと、日本人としてあるべき正しい座り方として正座を選んだため。
江戸時代には大流行した脚気の原因が、正座だと考えられていた。それが明治時代に栄養不足だと判明したことも正座の普及を広めた理由。そして、畳の普及によって、さらに正座が広まった。
江戸時代以前には「正座」という言葉はなく、「かしこまる」や「つくばう」などと呼ばれていた。1889年に出版された辞書『言海』にも「正座」という言葉が出ていないことから、「正座」という観念は明治以降に生まれたと考えられている。 書籍でのもっとも古い「正座」の使用例は、明治15年(1882)に出版された『小学女子容儀詳説. 上編』の文中にある「凡そ正坐ハ。家居の時より習ひ置くべし。」と考えられている。
正座は背筋を伸ばし、膝を意識して座るようにすると、あまり痺れない。
富山県の方言では正座することを「ちんちんかく」という。(「ちんちん」が正座を意味し、「かく」が状態、動作を意味する。丁寧な命令調ならば「おちんちんをかきなさい」となる)
朝鮮半島では正座でお辞儀をするのが最上級の感謝の挨拶とされている。これは葬式や結婚式など特別の場で行われる作法とされているので、日常生活で正座をする人は少数である。
インディアンの移動用住居ティピー内では女子は正座をするのが望ましい作法とされる。
イースター島のモアイは裸で正座している。
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