2020年7月30日木曜日

莊子って誰?逍遥遊ってどういう意味?


荘子って誰?
漫画キングダムの舞台にもなっている春秋戦国時代の少し前にいた諸子百家と呼ばれる古代中国人の一人。 「人はどうあるべきか、個の幸せとはなにか」といったことを説いている戦国の思想家の中では異色の人。

逍遥遊(しょうようゆう)とは?
古代中国の思想家莊子の書いた書物に登場する言葉で意味は「何ものにもとらわれない自由の境地」。スーパーフリーダム状態。
逍遥は気のままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩
遊は 主体的な自由がある状態。時間や場所に縛られないだけでなく、常識や知性にさえ縛られることのない自由な状態。

逍遥遊篇では、巨大な鳥の大いなる飛翔を描き、巨大な鳥から見た世界と小さきものからみた世界の違いを浮き彫りにして自由闊達な「大」の世界を説く。 

莊子の考え方ってこんな感じ
『史記』のある挿話
「楚の威王が荘子の評価を聞き宰相に迎えようとし、礼物を持って荘子を訪ねた。すると荘子は「千金は大したもの、宰相は最高の地位でしょう。しかし郊祭の生贄になる牛をご覧なさい。長年、美食で養われ、錦繍で飾られ、最後には祭壇にひかれていく。その時いっそ野放しの豚になりたいと思うも、手遅れなのです。わたしは自由を縛られるより、どぶの中で遊んでいたい。気の向くままに暮らしたいのです。」といい断った」という話がある。

有名な胡蝶の夢の話
「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか」

莊子の考え方には共感できるところがたくさんあります。気がつけば自由がなくなっている人って世の中に多いです。マネジメント・ルール・成果・競争でがんじがらめになる現代社会にこそ必要な思想家だったと思います。

逍遙游編第一の始まり

北 冥 有 魚 , 其 名 為 鯤 。 鯤 之 大 , 不 知 其 幾 千 里 也 。 化 而 為 鳥 , 其 名 為 鵬 。 鵬 之 背 ,不 知 其 幾 千 里 也 。 怒 而 飛 , 其 翼 若 垂 天 之 雲 。 是 鳥 也 , 海 運 則 將 徙 於 南 冥 。 南 冥 者, 天 池 也 。

 北 冥 に 魚あり、其の名を鯤(こん)と為す。鯤の大いさ其の幾千里なるかを知らず。化して鳥と為るや、其の名を鵬(ほう)と為す。鵬の背(そびら)、其の幾千里なるかを知らず。怒(ど)して飛べば其の翼(つばさ)は垂天(すいてん) の雲の若(ごと)し。是(こ)の鳥や、海の運(うご)くとき則(すなわ)ち将(まさ)に南冥(なんめい)に徙(うつ)らんとす。南冥とは天池(てんち)なり。


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