80年代初頭の教育暗黒史
今日では信じられないことですが70年代後半から80年代初頭にかけての中学校は荒れに荒れていました。校内暴力が全国的に日常的に見られた時代でした。
画像はイメージ
例えばこのような行動が行われていました。
<対教師暴力>
・校長室に乗り込み騒ぎ回った後湯呑みを割る
・先生の胸ぐらを掴む・顔面を殴る・集団でボコる
・女性教師のスカートをずらす
・授業中バクチクをならし妨害
・教師めがけて椅子を投げつける
・ 卒業式の最中に不良集団が一人の先生をバールでめったうちにする
・ 喫煙注意した教師に、中3生徒がタバコの火を押しつける
・ 校内暴力警察に知らせたと中学生30人教室に乱入
<生徒間暴力>
・ よその学校の不良グループが授業時間中に乗り込んできて校庭で乱闘
・ 中学運動部員14人が校内で暴れる、2人逮捕12人検挙
・上級生による下級生への陰湿な集団暴行
・生徒同士のリンチ事件
<器物損壊>
・廊下をバイクで走り回る
・ トイレのドアを故意に損傷させる
・ 補修を要する落書きをする
・ 学校で飼育している動物を故意に傷つける
<対人暴力>
・コンドームに水を入れて膨らませ校舎の上から通行人めがけて投げつける。
「校内暴力」がドラマや漫画の題材に
まるで漫画やドラマの話のように見えますがこれらのことが実際にあったため漫画やドラマの題材になりました。
例えば1980年には、中学校を舞台にしたテレビドラマ「3年B組金八先生」第2編では校内暴力が主題でした。
暴走族風の身なりをした「なめ猫」が流行りだしたのは80年代初頭でした。
「湘南暴走族」の連載開始は1982年でした。
「ビーバップハイスクール」連載開始は1983年でした。
「ろくでなしBLUES」は連載開始は1988年でした。
1984年高校を舞台にしたテレビドラマ『スクール☆ウォーズ』では、オープニングでバイクが学校の廊下を走り、窓ガラスが続々と破られ、非行少年が警察に連行されるシーンが登場した他、本編でも暴力事件を起こす生徒が主題として扱われました。
1985年にリリースされた尾崎豊の「卒業」では夜の校舎の窓ガラスを割って回る歌詞があります。
このような出来事が実際に目の前で起こる時代でした。当時、竹刀を手にした教師の姿は珍しくありません。
学校の歴史
戦後すぐの1947年GHQは占領政策の一環として教職追放を行いました。国家思想や「お国のために」といった思想を教育から排除するため人事を一新しました。そのためこの路線は50年代も続いていくことになります。また小中高大を単線で進学する制度に変更し小中学校は義務教育となって教育が無償化しました。いままでは貧しくて学業ができなかった子供たちも学校に通うことができるようになりました。50年代の高校進学率は50%程度だそうです。73ー91年の安定成長期は国民所得の向上がみられた時代です。1970-1975の第二次ベビーブームでは高校進学希望者が増加し75年の進学率は91.9%程度となりました。
原因は何だったのか?
50〜70年代初頭は朝鮮戦争とベトナム戦争により作れば物が売れる時代でした。この時代に利益の方程式を確立した企業は「言われたことを素早く従順に理解し期待通りの成果を上げる人材」を期待し始めました。そのころ教育現場に普及しだしたのが詰め込み教育です。
「詰め込み教育」では知識が次々と教え込まれ用意された答えを素早く正確に答える事が求められます。この「詰め込み」の教育構造が今日では校内暴力が全国規模で多発することになった原因ではないかと言われています。
「詰め込み教育」によってなぜ校内暴力が増えるのか?
「詰め込み教育」はこの時代の企業が求める人材を育てるのに都合がよく、かつ教員側のメリットが大きいため普及しました。授業は用意されている答えをそのまま教えればよく、教師の教える能力が高くなくても安定した品質の授業を行えるようになりました。評価も用意してある答えと照らし合わせて点数をつけるだけでよくなるので格段に楽になります。点数が低い理由を生徒自身の努力不足や集中力不足に転嫁できるため指導力の不足は問われません。しかし学校側のものさしだけで出来不出来を決めるのはやはり歪みが生じます。GHQの政策により教員の思考も偏向されていたため指導を行う動機が生徒のため保身のためや学校のためと大義を欠くようにもなりました。生徒同士を比較すれば半数が落ちこぼれということになり、落ちこぼれの烙印を押された生徒は無意識にはけ口を求めるようになります。しかしそこにも大義はありません。結局目の前の出来事にのみ動物的に反応し自分の身の回りにいる人間たちだけを根拠として動きます。それが校内暴力のムーブメントとなってしまったのではないでしょうか。ひとつひとつを見れば偶発的に起きたかのようにみえる事件も全国規模で起こっているとなれば構造を疑う必要がでてきます。この時代の反省により教育は「詰め込み」から「ゆとり」へとシフトしました。
0 件のコメント:
コメントを投稿